2018年03月25日

『もしぼくが本だったら』(アノニマ・スタジオ)

東京・谷中の本屋ひるねこBOOKSです。

ジョゼ・ジョルジェ・レトリア ぶん
アンドレ・レトリア え‎
宇野和美 やく

『もしぼくが本だったら』(アノニマ・スタジオ)


もしぼくが本だったら [ ジョゼ・ジョルジェ・レトリア ]

もし ぼくが本だったら ニューヨークのことも 古代ローマのことも 知っているだろう。
もし ぼくが本だったら うちあけられたすべての秘密を しっかりと守ってみせる。
もし ぼくが本だったら 流行や義務で 読まれるのはごめんだ。
もし ぼくが本だったら だれかをしあわせにできるなら どこへでもゆこう。
もし ぼくが本だったら <忘却>という言葉を なによりおそれるだろう。
もし ぼくが本だったら 「この本がわたしの人生を変えた」と だれかが言うのをきいてみたい。


本屋を営んでいると、

「あなたにとって本とは何ですか?」
「本の魅力とは?」

と質問されることがあります。

状況や場所、相手によって様々な答えをするわけですが、
明確に答えを出せたことは一度も無いような気がします。

それは「本」という存在が、物体としての〈紙〉の集合であるという確からしさの一方で、
〈言葉〉という、どんな風にも捉えうるものの連なりで出来ているからかもしれません。
そこに書かれている内容は不変でも、読む人やそのタイミング、心情によっては、
いくらでも世界が広がってゆく。
その幅の広さ、揺らぎこそが、本を本たらしめているのではないかと思います。

ただ、印刷された文字は絶対に変わることがないし、恣意的に変えてはならない。
それは本を出すときの大原則で、だからこそ、そこには大きな責任が伴います。
もちろん誤植訂正などはありますが、必ず原本は保管され、誰の目にも触れられるものです。

今、言葉がとても軽く扱われています。
発言から生じた齟齬を隠すために、別の人間が奔走し、犠牲になり、
明らかな誤りが勝手に削除され、あったことが無かったことのようにされる。

誰にだって間違いを犯す可能性があります。
それを認め、謝罪し、次に活かすことができるのか。
そこに人間性が表れます。

歴史の判断を仰ぐこと。
そのために言葉を記録しておくこと。
本の役目はまだまだ終わっていません。

posted by ひるねこ at 16:57| Comment(0) | 紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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